ken-j’s diary

大衆の人が「なるほど」と言えるようなブログは書けない。でも少数が「なるほど」って言える記事をつくる。それがこのブログです。

『一揆敗れて山河あり』加賀一向一揆最後の砦、鳥越城跡を巡りご先祖様への思いにふける。

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加賀一向一揆の里と言われる我が故郷『鳥越』

昔はよく登った鳥越地区の名所【鳥越城跡】に行ってきました。

 

昔からよく聞かされてきましたが、ここ加賀の里は昔、一向一揆最後の砦としたら言われてきたようです。

それではこの加賀一向一揆はどのような歴史があったのか見ていきましょう。

加賀一向一揆とは?

長享2年(1488年)頃から天正8年(1580年)にかけて加賀の本願寺門徒らが中心となった信徒による一揆だそうです。

内容の詳細が細かく難しいのでウィキペディアのリンクにて。

蓮如文明6年(1474年)から文明7年(1475年)までの間、吉崎御坊福井県あわら市)に滞在した。蓮如は親鸞以来の血脈相承を根拠として、北陸の浄土系諸門を次々と統合していった。文明5年(1473年)には富樫政親の要請を受けて守護家の内紛に介入し、翌年には富樫幸千代を倒した。蓮如はこれによって守護の保護を受ける事を期待していた[1]が、逆に政親は本願寺門徒の勢いに不安を感じて文明7年に門徒の弾圧を開始、蓮如は吉崎御坊を退去し、加賀の門徒は政親に追われて越中に逃れた。

ところが、今度は越中砺波郡の石黒光義が政親と結んで門徒弾圧に出たところ、文明13年(1481年)に越中で一揆が発生し、光義が討ち取られる(越中一向一揆)。また、政親は加賀の一国支配の認知を目指して9代将軍足利義尚による六角高頼遠征(鈎の陣)に従軍したが、それに伴う戦費の拡大により、国人層が反発して越中から帰還した門徒とともに決起する。長享2年(1488年)には、代わりに富樫泰高を守護に擁立して、政親を高尾城に滅ぼした(長享の一揆)。足利義尚は一向一揆の討伐を検討したが、細川政元の反対と義尚の死により一向一揆討伐と六角高頼遠征は中止となった。以後、加賀に宗主代理の一門衆(松岡寺住持蓮綱・光教寺住持蓮誓・本泉寺住持蓮悟)が在住し、次第に国人層から本願寺による加賀支配に移行していった。

ところが、永正3年(1506年)に一向一揆を抑圧する周辺諸国への進撃を行って失敗(九頭竜川の戦い般若野の戦い)した頃から、一門衆による統治に動揺を来たし始める。続いて本願寺中央が一門衆を抑圧しようとした事から、享禄4年(1531年)には大小一揆と呼ばれる内紛に発展して多くの一門衆やこれに従った国人衆が粛清された。天文15年(1546年)に尾山御坊(金沢御堂)が建設され、それを拠点として北陸全体に一向一揆を拡大させた。弘治元年(1555年)、永禄7年(1564年)に朝倉氏と、1570年代前半は上杉謙信と、その後は織田信長と対立した。元亀3年(1572年)は杉浦玄任を総大将とする一揆勢が上杉軍と数ヶ月に渡って激突、各地で上杉軍を破るなど猛威を振るった。しかし謙信率いる上杉本隊が到着するに至り戦況が悪化し、尻垂坂の戦いで大敗を喫し、一揆の勢いに陰りが見え始める。

石山本願寺の降伏、尾山御坊の陥落により一揆は解体された。尾山御坊を攻略したのは佐久間盛政だった(一揆を沈静化させたのは前田利家だった、と言う説がある)。

歴史関係の話は苦手なので要約もしきれませんでした・・。

一向一揆最後の砦「鳥越城跡」

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『一揆敗れて山河あり』

この銅像と文字はかなりインパクトを持ちました。

ここ鳥越地区の歴史についてはやんわりとしか記憶しておりませんが、この言葉は昔から聞いたことがあり重みのある表現に感じます。

我がご先祖も、もしかしたらこの思いを後世のぼくたちに託したのかもしれません。

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〈書いてある文章の一部を文字で起こします〉

五百年前、日本の歴史に、世界の歴史に例のない、農民の心を一つにしてできた国があった。

これが

「百姓の満ちたる国」

の誕生である。

天の声、他の声を、わが心とした人びとの固い団結は、以来百年に及んでいる。

しかし、歴史は無情である。

この国の終末は殉教という悲劇の中に幕を閉じることになる。

その最後の舞台がここ

「鳥越城」

である。

以下省略。

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ここ鳥越城跡からの眺めが好きです。

学び舎である鳥越小学校や山の陰に隠れて見えませんが中学校。

石川県の一級河川【手取川】の上流を見る事ができます。

鳥越城跡には色々と解説がしてありますが、撮り忘れてしまいました…。

ただ、もし機会があれば一度ご自身の目で見てみてください。

素朴で落ち着く良い場所です。

補足情報

ここ【鳥越城】のある鳥越地区は市町村合併により平成17年より【白山市】として親しまれています。

 

この白山市は【松任市】【美川町】【鶴来町】【鳥越村】【河内村】【吉野谷村】【尾口村】【白峰村】1市、2町、5村が合併された地域となっております。

この合併により石川県内最大の面積を誇り、人口では金沢市に次いで2番目の約11万人を抱えます。

 

市内には県内最大の山【白山】から日本海に面する海まであり見所いっぱいです。

そして一番のアピールポイントとしては

『住みやすさランキング1位』

に選ばれました。

まとめ

補足説明では記事テーマから大きく逸れてしまい、すいません。

ここ白山市は本当に良いところがたくさんあり、ついつい熱くなってしまいました。

暗いテーマの場所を紹介しましたが見どころのある場所はまだまだ沢山あります。

もしお時間がありましたら是非お越しになって下さい。

 

最後までお読みいただき有難うございました。