名古屋で起こった悲惨な事件の判決言い渡されるという話をニュースで聞いて思う事を書き綴っていきます。
事件の概要
2016年8月、当時12歳の男児を父親が包丁で刺殺したという凄惨な事件が起こりました。
その理由と言うのは子供の勉強についてです。
その父親は中学受験に大変熱心であったようで、日頃から勉強を強制させていたようです。
ただ他の強制のやり方がはっきり言って異常でした。
刃物をチラつかせ脅しながら勉強をさせていたといいます。
時には行動にも出ていたようで、息子の足を実際に刺して
「刺すって言ったはず!」
「俺が書けって言えば死ぬほど書け!覚えろって言った事はぜんぶ覚えろ!」
と怒鳴りつけていたことがドライブレコーダーに残されていたようです。
その中には息子さんの声も。
「痛い。ごめんなさい・・。」
「いててて・・・。」
といった声も入っていたようです。
そしてその後殺傷事件となってしまったようです。
本人に殺意はなく教育という名のもとに行った行為であったようです。
東洋経済オンラインの記事を参照しましたが、この記者さんの経験で刃物を使って教育虐待をおこなっているケースは他にも見られたそうです。
ぎりぎりのラインで踏みとどまっている家庭も見られるようです。
感想
ぼくはあまり暗いニュースを見る事が好きではなく事件事故や不正など人が悪口を言いたくなるような内容のものを見ないようしています。
気持ちが暗くなるし、腹を立てなくてもよいのにイラ立ってしまうので。
この事件については仕事中のラジオで知りました。
まさにタイトルにもあるように【教育虐待】と言う言葉に反応したからです。
今まであった言葉なのでしょうか。
あまり聞き慣れない言葉だったのでニュースも注目して聞きました。
感想としてはこんな事件が起こり得るんだなと思いました。
親の心境も理解しがたい部分もあると感じました。
しかし、同じ親として共通して持ち得ている部分がエスカレートした結果なのだろうかとも思えます。
加害者の心境を推測する。
この加害者の人間性というのは知る由もなくこれ以上知りたいとも思いませんが、事の発端が教育から始まっています。
だから最初から殺してやろうと思って起こった結果ではないと推測します。
決めつけですが、子供の人生にとって良い選択をさせてあげるべきという方針から始まったと考えれますね。
この件を自分自身の心境に照らし合わせ考えてみます。
誰にでも『教育虐待』は起こりうるかもしれない、実体験を元に解説。
結論から先に申し上げます。
自分は自由度をもって子供と接しているつもり。でも実はその自由という定義自体が間違っている可能性がある。気が付けば教育による虐待をあなたのためという大義名分で振りかざしている。だから『教育虐待』は誰にでも起こりうる問題だと思います。
実体験にて解説します。
ぼくには小学1年生の娘がおりますが教育方針としてこう考えています。
自由でのびのびした発想で興味を持った事にどんどん取り組んでいき、自分が好きと思える事を追求できる人物になって人生ってなんて楽しいのだろうと思える。
語り出すと尽きなくなるので本質の部分はこのような感じになっています。
この考え方でいうと親ができるアドバイスとしては人の嫌がる事やマナーを大きく外す事とかそういった道徳的な部分しかないのではないかと考えます。
ですが
その考えに逆行する行為を無意識にしてしまっている事に気がついて大いに反省した事をお話します。
先日、娘の宿題を見ていたのですが2種類の宿題が出ておりました。
書く宿題
音読
書く宿題はすらすらと書いていきあっという間に終わらせていました。それから追加で市販のドリルの問題も書いていきました。
一方で音読については一向にやる気配がありません。
集中力が切れたのか、疲れたのかと思い一旦は好きな事をさせてあげようと時間を決めてテレビを見させてあげました。
そして時間がきました。テレビを消し宿題にとりかかるよう促しましたがやりません。
そこでぼくはイラっとしてしまいきつめの言葉を発してしまいました。
ここです。
この言葉がどれだけ影響を与えるのかを考えておりませんでした。
その後、寝る時間になっても宿題どころか就寝支度もしません。
奥さんの帰宅は遅くなるので娘は頑なに待っていました。
その内ソファーで寝てしまい寝室に運んだのですが、腕にでかでかと何か書いてありました。
「けいさんかーど」
「おんどく」
ここでやってしまったと気付いたのです。
やらなければいけないと分かってはいるけども、どうしてもやれない。
そんな事だったんだろうと推測します。
ちなみにこの日の前後は普通に音読が出来ていますし自発的にやるようにしています。
このようなケースが積み重なっていき、果てには教育虐待に繋がっていくのだなと感じました。
まとめ
冒頭の話に戻りますが「加害者男性は殺すつもりではなかった」と話していますがぼくは本当なのではないかと思います。
ぼくの事例のようにあの感情が積み重なっていき行動に出てしまったのだと感じます。
おとなは完璧ではありません。まずはそれを自覚しましょう。
教育になるのか虐待になるのか自分の行動によっても変わるかもしれません。
自分が勉強をしましょう。
これでやっと子供と同じ土台にたっていけるのではないかと考えます。
勉強をしていけば教育に目を光らせる暇もなくなります。
学ぶ姿勢と知識を子供にフィードバックできることもあるでしょう。
背中を見せましょう。お父さん、お母さん。
ぼくは実践していきます。
最後までお読み頂き有難う御座いました。