ken-j’s diary

大衆の人が「なるほど」と言えるようなブログは書けない。でも少数が「なるほど」って言える記事をつくる。それがこのブログです。

【正義と悪の定義】誰かの正義は誰かの悪。悪の本質は誰かの正義なのかもしれない。誰が見ても『悪』というものはこの世にあるのだろうか。

先に言っておきます。

結論的には

日常のエピソードに大それた「タイトル」を付けくわえたお話となります。

いたって日常生活にありふれた話から少しだけ視野を広げてお話をしておりますが最終的にはまとめきれておりません。

今回はそんな感じの記事ですが、是非お付き合い下さい。

日常のエピソード

f:id:ken-j:20190908180423j:plain

色んな家庭があると思いますが今から話す内容は、考えの相違から連想した「自分が信じる事」と「他者が信じる事」について思い起こされたテーマを元に進めていきます。

(次のテーマで正義と悪について言及していきます)

 

各家庭内で好みがすべて同じという家庭はどのくらいあるでしょうか?

おそらくあまりないと思います。

先日、奥さんと自分が取り組んでいる精神活動について意見の食い違いがました。

ぼくが活動しているコミュニティ、奥さんの活動しているコミュニティ。

その違いについて意見が割れました。

当然ですが当ブログはぼくが作成しているので、ここではぼくの意見が有利に働きます。

 

ぼくが信じること

ぼくはコミュニティ活動として何度か話に出している「倫理活動」に参加しています。

この活動を行うことで、人生がよりよくなると信じています。

ぼくが思う倫理活動の利点を箇条書きにすると

  • 様々な年代や立場や性別のひとたちが様々な実践を通して経験したことを共有して勉強できる場所。
  • 自分自身が必要と思える課題について実践を通して成長していける。
  • 成長の過程で必要とされるポイントを栞(本)と活動している会員さんたちのコメントやアドバイスで修正できる。
  • 営利目的の要素なく純粋に学び取り組める。

といった良い点がたくさんあります。

一言でまとめると

自分自身が実践を通して人生を切り開く」

 

奥さんが信じること

一方で奥さんが信じている精神活動というのはキリスト教を主とする分教にあたります。

説明は聞いていますが、うまく説明できないですし下手に説明することにやめておきます。

ただ要約してみると主が自分ではなく神様。

「神に祈りを捧げ、許しを乞う」

 

そんなのただの神頼みじゃん!ってなったわけです。

(その後、倫理活動で勉強しましたが言い方違えど本質は同じではないかとも感じています)

 

このエピソードから何が読み取れるのだろうか。

人それぞれ信じているものが違い、ゴールは同じでもその手法が違っていたら言い合いになってしまうし拒絶します。

なんて難しいものなのだろうと思いました。

ずっと意見が食い違ったままになっており、現在進行形ですがいつかは交わるかもしれません。

 

なぜならぼくの場合、対象になっているものは自分自身の実践。

その実践によって考えが変化していけるので、「理解する」を実践にすればよいわけです。

奥さんが話している《神頼み》「理解の実践」を重ねることで交わることもできそうです。

 

しかし信じているものが違っていたらどうだろうか。

ここでふと思ったのが今回のテーマです。

「正義と悪との定義」はどこにあるのだろう。

神は神でも違う神を崇拝したらどうなるのだろう。

国家間での覇権争い。

会社同士。

などなど、たくさんありますね。

正義と悪の定義

f:id:ken-j:20190908180407j:plain

ぼくが一番怖いと思う「正義と悪」が分かれるケース。

それは宗教の違いによるものです。

客観的にみればどっちもどっち。

でも信じる力が強ければ強いほど他のものが信じられなくなる。

この最も信じる力が強いものが宗教だと思います。

 

宗教間の問題で最悪なケースにまで発展したものが宗教戦争です。

学校の歴史にも出ておりましたがカトリックとプロテスタントとの対立抗争によって起こった国際的な戦争が有名ですね。

 興味のある人はこちらのリンクでご覧ください。

宗教戦争(しゅうきょうせんそう)とは - コトバンク

 

日本でも宗教的な戦争というのは数々起こっているようですが、過去に書いた一向一揆もこの宗教戦争にあたるそうです。

www.ken-j.work

なお、宗教の問題でなくても「正義と悪」の関係性がよくわかる文化があります。

そう、それはドラマやアニメです。

特にぼくはアニメが好きなので感じますが、主人公から見た正義が正しいものであり敵対するのはという事が当たり前となっています。

 

 子供のころはそのまま鵜呑みに見ており悪が倒された時にはスカッとしたものです。

 

しかし、子供のころに見たアニメにしても今見るアニメにしてもあまりスカッとすることはなくなりました。

悪役と言われるキャラクターにも立場や信じているものがあって、それが無念にも叶わなく果てていくわけですから。

その中でも「北斗の拳」のラオウは非常にかっこいいです(古くてすいません)

 

ここで一つ。

子供が見ていたアニメの一節の終わり方が気持ちよかったので簡単に紹介します。

子供向けなので深みはあまりないかもしれないけど。

作品名

「グラビティフォールズ#6」

外国のアニメなので少々不思議な感じはありますが、最近よく見ています。

 

作品の要約

主人公の男の子は双子の女の子とおじさんから「男っぽくない」とからかわれ、男っぽくなるための特訓にでる。

特訓先に選んだのは牛魔王のような男たちが住む岩山。

 

必死の特訓を経てたくましくなった少年は卒業試験で牛魔王の天敵である怪物を倒しにいく。

少年はその怪物を追い詰めて倒す一歩手前まで追い詰めたのだがその怪物が

「死ぬ前に好きな曲を聴きながら死にたい」

と懇願する。

 

少年はその要求を受け再生ボタンを押した。

流れてきた曲は少年が「男っぽくない」とからかわれる原因となった曲。

その曲に共感した少年は怪物を倒すことをやめ、和解した。

だが、牛魔王には「男らしくない!」と言われる。

 

少年の正義は違うものとなり和解することができ、その様子を聞いたおじさんが

「自分の考えを信じて突き通すのは男らしい!」

と言われて笑顔で終わった。

 

もし興味があれば検索してみて下さい。

まとめ

f:id:ken-j:20190908180655j:plain

今回取り上げたテーマは非常に難しいテーマだと思い途中でやめようかとも思いましたが、一応最後まで書ききれてよかったです。

アニメ紹介をしたのは娘が横で見ており「この内容は書きたい!」と思ったのがきっかけで記事作成を継続できました。

 

正義と言い張れるほど強い思いをもった思想を持つ人にはすごく憧れます。

迷う事がないでしょうから。

ぼくの人生は迷う事が非常に多い人生です。

「誰かから見れば正義、誰かから見れば悪」

誰の目から見ても悪というものがこの世にあればどれだけ楽だろうかと思います。

 

ただ大事なことだけはわかっています。

「最後に決めるのは自分」

 

まとまり切れてませんが今回はこれで終わりたいと思います。

 

最後までお読み頂きありがとうございました。