人はどんな時に感動するのだろう?
ken-jです。
あの日、朝礼にて問われました。
企業理念の理解度について。
理念というのは会社憲法のようなものです。
「よくない事が起こった時、理念に対してどうなのかを照らし合わせて考えてみて欲しい」
と社長は言います。
なるほど、かけ離れていたりします。
では、理念に従って行動をする事でお客様へどのような利益をもたらす事が出来るのか。
当社の理念がどのようなものかを明かす方が分かりよいと思いますが伏せておきます。
理念の公開はちょっとまずそうなので…
しかし、理念に込められた思いの中に【感動】というキーワードがはいっています。
感覚的には日常から感動をしているつもりですが、具体的にどのようなことが自分やみんなの感動となっているのか。
考えてみませんか?
その感動は受動的ですか?それとも主体的ですか?
では、ぼく視点ではどうか。
話を進めますが、結論を先に述べると受動的でした。
そして、改善しようと感じた次第です。
それでは、いってみましょう!
理念について
理念について伏せていているので、非常に進めにくいのですが端的に言うと
「主力商材を通して暮らしと未来を明るくします」
といった感じのものです。
ここから先、枝のように文面が並んでいき迷路のようにぼくは感じています。。
数ある枝の中でぼくが取り組むべき具体的な行動はこれだと感じているものはこちら。
- 顧客に見合った商材提案+α
- 要望に沿った品質の高い施工工事
- 「困った」をなるべく早く解決するスピード感と対応力
ある朝の朝礼で問われたので、上記のように答えました。
そして他の社員も似たような事を答えていましたが、社長は腑に落ちていないようでした。
欠けているものがある。
みんなこれ以上何があるの?
という雰囲気になり、ぼく自身も何なのだろうと考えこみました。
答えは今回のテーマである【感動】でした。
結果的には感動はしてもらえていると言い切れます。
ただ、【感動】にフォーカスした行動をとっていなかったと思います。
では、感動をしてもらうには具体的にどうしたらいいのか?
あまりピンと来ていません。
だからここからは自分やみんながどのような時に感動しているのか掘り下げていくことにします。
「ポイント」であろう感動とは何か
感動と言ってもさまざまなケースが考えられます。
それぞれ役割や立場を持っていると思うので、立場ごとに想定した感動の状況を思い返してみます。
娘についての感動
当ブログで何度も話題に出しておりますが、ぼくには小学1年生の娘がいます。
娘からはたくさんの感動をいつももらっています。
先日のエピソードを一つ。
娘と二人でカラオケに行きました。
本当に久しぶりのカラオケです。
前回はいつ行ったのかあまり定かではありませんが、半年以上は経過していたと思います。
ここで感動したことは
明らかに歌がうまくなっていました!
そして、以前だと字幕を読みながら歌う事が出来なかったので記憶のみで歌っていましたが、字幕を読みながら歌えるようになっていました。
もう感動です。
どの家庭でもこのような感動が必ずあると思います。
この感動を届けるヒントはどこにあるのだろうか。
作品についての感動
こちらも日常にある感動です。
とても心が震えるような感動を覚えたので記事にした映画作品です。
この後、レンタルショップに行きサントラまで借りて聞いていますが本当に最高ですね。
映画作品ではこちらも感動しました。
とにかくかっこいいという印象もかなりまりますけども。
当然ですが、映画作品を作成する人たちは仕事として作品を作っています。
大半のスタッフが多大な時間を使っていることが予想されますが、こうして数多くの感動を届けられる仕事って本当に素晴らしいですよね。
自分の仕事にも感動を届けられるポイントは必ずある。
次のテーマに行きながら考えていきます。
会活動についての感動
会活動というのは倫理活動を指します。
老若男女が実践していることをそれぞれ発表しながら人生を良くしようと取り組んでいます。
80代のおじいちゃん・おばあちゃんが話す、戦時中に疎開をし訪れた場所で苦労しながらも助られたお話に感動したり。
旦那さんとの関係について奮闘する女性の話に同感する部分もあり、感動したり。
経営する会社の社員が成長していく様子を聞いて感動したり。
恰好をつけず、素直な言葉で話される言葉に感動は生まれるのだと感じることが出来ます。
感動の他にたくさんの苦悩や悩みも溢れます。
ぼくが行う仕事で解決する糸口を見いだせられれば、感動に近づけるのかもしれません。
友人についての感動
現在はフリーランスとして活動している親友の1人。
彼は若い頃、交通事故により九死に一生を得ました。
当時目指して日々努力していた理容師の夢を絶たれてしまいました。
足に後遺症を負い断念したのでした。
そこから派遣社員で仕事をしたり、留学をしてみたりととても苦労して迷いながら人生を模索したのだと思います。
とても明るい彼は本当に絶望な心境にあったのかもしれませんが、そんなこともあまり感じさせませんでした。
自分で人生を切り開いていくその姿を見て感動を覚えます。
本人、当記事を見ることがあるのでここでやめておきますが・・
仕事についての感動
「理念について」のテーマで少し触れましたが、確実に感動を生んでいることは言い切れます。
「わーこんなにいいのになったんだ!ありがとう!」
「こんなに早く来てくれて直してくれてありがとう!」
「こんな便利なものがあったなんてしらなかったわ。ありがとうね!」
このような感謝の言葉を頂けています。
嬉しい事に。
感謝の中には感動も含まれているのは雰囲気で分かります。
でも・・感動を提供する気持ちで訪問し接客したことはなかった。
受動的感動とでもいうべきでしょうか。
感動を意識してみてどうだったか
自分の周りにある感動を意識してみると、さまざまな場面で感動があることがわかりました。
出してみて共通点がわかりました。
「受動的」
ということです。
あーなるほど。
受け取る感動が主だったから、お客様へ感動をお届けすることに意識が行かなかったのかと自分の中で感じました。
感動を届けるとはどんな事なのか。
知るヒントは感動を届けている人を注視してみること。
今日から目線を変える必要があると感じます。
まとめ
これまで会社理念というものについてあまり深く考えて来なかった不良社員のぼくです。
この度、社長が言っていた【感動】というキーワードを掘り下げてみて良かったと感じています。
自分が持っていた感動の種類が受動的なものであったと気づけたわけですから。
これから人に感動をもたらすにはどうすればよいのかを追求していく中で、新たな感動のカテゴリーが増えていくことを期待したいです。
年齢を追うごとに感動することが少なくなってきました。
とても寂しいことです。
感動がなければ人生はつまらないですものね。
だから受動的から主体的に変化させていきます。
皆さんはどうですか?
冒頭にも投げかけましたが、一度考えてみてはいかがでしょうか。
ぼく自身、新しい感性が芽生える期待がこもった記事となりました。
半端な結論で終わることをお許し下さい。
これから、ぼくが見る風景を記事にしていきますのでご期待下さい。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。