ネガテイブな言葉には近づかないでおこう。
と意識して生活しております。
ネガテイブな言葉には救いがない気がしますし自分自身の心が侵食されていくような感覚があるので近づかないように注意しております。
自己肯定や啓発系の教えではネガティブワードはだめなものだと言われています。
しかし、それはわかりますがネガティブワードについつい気を取られてしまう時がありませんか?
ぼくはあります。
特に際立つのが
悪口を言っている人の言葉
その場にいない人を批判する。本人の前でその事をそのまま言えるのであればそれは悪口になり得ない場合がありますが、本人がいるとあたかも良好な人間関係を築けているように振る舞う。
そんなやり取りを見ると本当に嫌な気持ちになるし、多分その人は自分の時も同じような振る舞い方をしているのだろうと思います。
そんな行動をとってしまうのはよくわかります。
これがネガティブワードの蜜になっています。
陰口や悪口は自分を棚に上げれるのでなんだか自分が偉く高尚になった気持ちになるのだと思います。
そして言葉を発したことに対してのリスクはあまりなく、偽りの結束感さえ生まれているのだろうと考えます。
「みんな自分と同じ事を思っている。あの人の悪い所を共有して自分たちはあの人よりも優れているんだ。」
というような一体感が生まれているんだろうと思います。
しかし、一旦そのグループを離れると次はまた違う人を【やり玉】として陰口悪口を言っている。
こんなのになんの意味があるのか疑問です。
多分意味なんてありませんよね。
キーワードは
「秘密の共有」「自分を棚に上げられる」「リスクがない」
という所でしょうか。
こうやって展開していくと実に滑稽な行為を長年繰り返してきたことに気づきますね。
だから
「こんなものは蜜ではなく無駄だと気づきましょう。」
「そして決別してしまいましょう。」
もし陰口や悪口を言いたくなった時は本人に言えるかどうかを判断基準にし
言葉を発するかどうかを検討します。
そして勇気を持って言ってみる。
これで陰口、悪口は言葉を発したとしても活かされるでしょう。
と、だいぶ偉そうな事を言ってしまっていますがこんな心持ちで日々過ごしたいと思っています。
理想にはまだ遠いです。