桑田真澄氏の講演会に行ってきました!
すごく感動的な内容だったので、ブログを通しての記録と読者さんへのこれからの参考になればと思い記事にします。
タイトルにもあるようにわが市に「桑田真澄氏」が来訪して下さいました。
約1か月前位に広報紙にて情報をチェックしてからすぐに応募。
見事に当選したのでした。
余談ですが、この度わが石川県白山市。
「全国住みやすさランキング1位」を獲得したそうです。
白山市民としてとても誇らしいです。
事前に伝えておきましたがぼくについては
- 野球に興味なし
- 桑田さんにも特にファンという言うわけではなく、すごい実力のある野球選手で努力家であるということ。
位しか知りませんでした。
いわゆるミーハー的な存在ですね。
ただ、前回記事に取り上げた「SBT」を講習されていたと知り話を聞いてみたくなったのでした。
本編にはいっていきます。
タイトル
「挑戦することの大切さ&10年後のためのコンディショニング」
物事には2面性がある
冒頭の話を忠実に再現していくと野球の話題から始まった。
野球は残酷なスポーツである。実力が全てである。
残酷な世界だ。
プロ野球選手になれる人数は毎年80人。あの東大でさえ3000人である。
そして、プロ野球選手になったら幸せか?
一般的に28.9歳が引退の平均であり、そこからはセカンドキャリアを過ごす事になる。
現役時代にしてもたくさんの人が入ってきて、その中でも活躍する事が絶対条件である。
言い換えれば
「弱肉強食」→だから残酷なのである。
そんな世界で2面性について話が続いていった。
物事は『表と裏』が両立して初めて成り立つ。
『結果とプロセス』
という考えが桑田氏の根底にあるという。
プロ野球では
表 結果
裏 仲間との協力や練習
ビジネスでは
表 戦略
裏 ビジョン
学生時代では
表 野球
裏 勉強
この表と裏の両立は中学校時代に学び、今も人生哲学として継続されている。
人生のなかで2つの挫折
桑田氏の人生は2つの「挫折」の一言につきるという。
その挫折を説明していきたい。
小学生時代 成長による挫折
4月1日生まれの桑田氏。
学年で言うと実質一回り上の学年と過ごす事。
小学生にとって非常に大きく大変なことだったようだ。
とにかく勉強についていけず、テストでも0点をとる日々が続いた。
その結果、クラスメイトからはアホ扱いされる日々。
小学3年生の時に勉強を諦め、なりたかったプロ野球選手を目指すことに決めた。
親に頼み込み野球チームのテストを受け見事に合格。
それも、3段階ある内の1番良いクラスへと入ることができ、夜も眠れない位嬉しかったと話されていた。
通常は上位クラスは6年生ばかりだったこともあり、1番下っ端からのスタートだった。
野球というのは超縦社会だそうで、ずっと掃除や雑用は全て自分だけでやり誰も手伝ってはくれなかったそうです。
そこについては「野球しかない」という思いが強く頑張ったのだが
「いじめ」については耐えられなかった。
その「いじめ」というのも講演では言えない位のひどいものだったそうです。
野球を辞めるという選択肢をとり、辞めてしまった。
その後、グレるしかなくどうしようもない状態の中、中学に入り転機が起こった。
母親からこれからの人生について問われ1日悩んだ後、答えを出しました。
「PL学園に入学し、甲子園に出たい!」
では、何をするのか。
出た答えは
「頑張るしかない!」
その頑張り方にやはりすごさを感じます。
PL学園に入るには「勉強ができなきゃいけない」
苦手だった勉強を克服する方法として
・クラスの人に聞きまくる
・先生にも聞きまくる
これはぼくの感性を差し込みますが、クラスの人にばかだとレッテルを張られ、ひどいいじめを受けた幼少期を過ごした人がなりふり構わず人と接触しに行くこと自体、すごいと感じます。
そうやって努力を重ねていった結果成績が伸びていき、「小さな自信」が積み重なって『努力が楽しい!』と思えるようになったそうです。
その頃、野球部にも所属をしており遅くまで練習していたので勉強をする時間がなかったようです。
その時間を作る代わりに授業を真剣に聞き、宿題は休み時間に済ませる。
自主錬として寝る前に30分の素振りをしていたといいます。
ポイントは授業中に努力をして自主錬は少しずつの努力をする。
それでしか実質的にそれでしか努力を重ねる時間がなかったようです。
その結果、中学校で実力がつき自信満々敵なし状態でPL学園へ特待生として
入学したのでした。
次の挫折はPL学園時代での出来事となります。
高校生時代 コンプレックスという挫折
清原氏との出会い。そして上位学年との差に挫折をしたそうです。
野球の世界は相変わらず超縦社会であり、当時は寮生活であった為1日1日過ごす事が大変であった。
投球も振るわずピッチャーとしても外され、3カ月目でついに親に泣きついたようです。
やめたいと。
その時に母はこういったそうです。
「絶対にあきらめちゃだめ」
「何かいい方法があるはず」
と。
何かいい方法があるはず。
この言葉にヒントを得て考え込んだようです。
中学時代は好きなフォームで投げていた。
高校時代は規則正しいフォーム。
中学時代は細かな努力。
高校時代はまとまった沢山の努力。
そして現状は全くだめだった。
その結論として上手くいっていた中学時代のスタイルに戻した。
1ヶ月後、気が付けば甲子園で優勝していた。
その出来事を分析した結果
『自分らしさ』
に気づき貫いた事であの偉業を残す事が出来た。
本物を自分の目で触れてみないと分からない
これは一言でした。
恥をかいてもいい!
自分の人生だから挑戦すべき。
その後、本物に触れるというこで「PL」「ジャイアンツ」「ヤンキース」のユニフォーム、「ヤンキース」時代のグローブを触れてみるということで4人が選ばれ嬉しそうに着たり触れたりしていました。
感想
講演を聞いて感じたのは野球に全く興味のないぼくでも野球というのも本当に素晴らしいものだなと感じた事で、なぜ野球をやらなかったんだろうと少し後悔をしそうになりました。
それだけ野球にはたくさんの良いものが詰まっているのだなと思える野球愛に満ち溢れた公演でした。
そして、ここからからが今後に活かしたい部分です。
2つの挫折から得たと言われる内容を抜粋します。
1つ目
小さな自信を積み重ね、努力を楽しむ事
2つ目
規則正しいものが正解ではない。
自分らしさを追求する。
この2つを心に刻み今後精進していきたいと感じました。
そして、これで最後としますがよく口癖のように話の節々に発せられていたのが
「運が良かった」
というフレーズです。
ぼくはそんなフレーズに桑田氏の謙虚で地道な努力を重ねてきた人生の軌跡を感じました。
これからもたくさんの試練や苦難が待ち受けていると仰っていましたが、小さな自信を積み重ね、努力を楽しみ、自分らしさを追求していくんだろうと思います。
かっこいい男ですね。
桑田氏は。
最後までお読み頂き、どうも有難う御座いました。
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